新潟に暮らすようになって、天然の魚介類のうまさをあらためて実感している。
定番のアジ、サバから高級魚のブリやズワイ蟹まで、その身をひと口味わっただけで「日本海の旬を、たらふく食ってるなぁ」と優越感に浸っている。
ただしスーパーマーケットや百貨店じゃなく、佐渡ヶ島や寺泊町といった漁港の市場まで足を伸ばすことが買い出しの条件だ。
春先に地物のカレイやキスなど白身の小魚を食べていると、ふと懐かしい気分になった。
「このプリッっとした白身のうまさ! 子どもの頃に食べた味と匂いがするなぁ」
独りごちた途端、思い浮かんだのは故郷の高松で食べていたピチピチの瀬戸内海の魚だった。
私は、四国の玄関と呼ばれる香川県高松市に生まれ、青年期までを過ごした。
今年50歳を迎えたけど、この体を保っていられるのは、青い瀬戸内海が恵んでくれた魚介類のおかげと言っても過言ではない。
思うに、日本酒好きになったのも、本当にうまい魚の味を舌が覚えていたからだろう。
瀬戸内海で獲れる魚はタイ、カレイ、キス、ハゼ、サワラ、イワシといった白身魚が多く、シャコ、ワタリガニ、イイダコなどの珍味も毎日の食卓に欠かせない食材だ。
今じゃハマチや車エビなど養殖業で知られる香川県だけど、昭和40年頃は漁師町が栄え、地元民の夕餉のおかずは活きのいい白身魚が主役だった。
少年時代を振り返ってみると、私は魚ばっかり食ってた気がする。そして、そんな魚介類を我が家に直接運んでくれていたオバチャンたちの表情を、今もはっきりと憶えている。
通称「いただきさん」と呼ばれる、元気なお母ちゃんたちだ。
彼女らは漁師の奥さんで、荷台に自転車をくっつけたような“特別仕様車”を駆って、高松の町を縦横無尽に動いていた。そして、お得意先である家庭を覗いては「奥さん♪ 今日は、お魚どうですか~♪」と、独特の呼び声をかけて売り歩く。人集めに街角で鐘を叩いては、鮮魚を目の前でさばいていく。
その見事なパフォーマンスにはまった子どもたちが母親の手を引っ張って、荷車を取り囲むと、「はい、一丁上がり!」てな具合で、またたく間に魚は売り切れてしまうのである。
そりゃあ、そうでしょ! 自分の旦那さんが朝まだきに獲った魚介類を、そのまま運んでくるのだから、安い上に鮮度も抜群ですもん。
ちなみに、いただきさんの由来はゆかしくて、とても高貴な人物にあった。
中世の南北朝時代に、京の都から落ち延びたお姫様が高松の西浜海岸に辿り着いた。
見知らぬ讃岐の地で姫は途方に暮れていたが、やがて地元漁師の妻となり、漁の手伝いや魚の行商を行った。
木桶に魚を入れて売り歩く姫の姿が「いただきさん」と呼ばれて評判になり、これが今日、自転車で鮮魚を行商する女性たちの愛称となっているのだ。ロマンティックな伝説で、どことなく姫様も無冠の帝王っぽい。
こうして、いただきさんのおかげで魚の味が分かるようになってた私は、関西の大学に進学するや、途端に魚が食えなくなった。当時のスーパーマーケットの魚はお世辞にも美味しいと言えず、学生食堂のさんま定食も残していた。
だから食傷気味になると、私はすぐさま四国に帰省し、いただきさんの魚を食べては元気を取り戻した。
あれから40年……町の魚屋さんは減り、大型の量販店が幅を利かせる時代になったけど、高松のいただきさんは今も数人が健在と聞いている。
その瀬戸内人ならではのDNAを、いつまでも持ち続けてもらいたいと思うこの頃である。