近頃アルコール売り場で起こっている現象に、リキュール商品の台頭がある。
いわゆるチューハイや炭酸入りカクテルのことで、カラフルなデザインとお買い得価格の缶入り商品が、連日スーパーマーケットの店頭にひしめいている。
そのおかげで日本酒はこじんまりと隅っこに追いやられ、いささか歯がゆく思うこの頃。どうしてリキュール商品は、ここまで広まったのだろうか?
その理由を、ボクは日本人の食文化の急変と分析した。20年前頃からハンバーガーなどのファーストフードが広まり、コンビニエンスストアにいけば弁当やおかずまで揃ってしまう昨今。それらの味つけは甘さと辛さが極端にはっきりしていて、必然的に味の濃い飲み物がピッタリくる。
しかも手早く食べれるように加工された食材ばかりだから、しっかりと噛む必要がなく、飲み込んでしまう。だから今どきの若者たちは顎が細いイケメンになったし、すぐに飲み込んでしまうなら、ノドごしの良い炭酸入りのアルコールがちょうどいい。
前置きが長くなったけど、この食の変化は調味料にも影響を及ぼしている。ソースやケチャップなどの甘くて味の濃い調味料が大量に消費されるようになる一方で、日本古来の“醤油”の消費量が減っているのだ。
これと逆に、アメリカでは日本料理と醤油(ソイソース)が大ウケし、日本酒のニーズとともに右肩上がりなのは、何とも皮肉だなぁ。
およそ千年の歴史を持っている醤油は、まさに無冠の帝王だとボクは思う。
誕生したのは和歌山県の湯浅(ゆあさ)という村で、元々は中国から高僧が持ち帰った味噌がきっかけだった。今でも湯浅には、角長(かどちょう)醤油という老舗の蔵元もある。
そんな湯浅の蔵元たちが、時代時代に全国へ醤油造りを伝えたことによって、各地の醤油文化が育っていった。
九州のトロリとした甘口醤油、薄口の龍野(兵庫県)醤油、まったりとした金沢の大野醤油など、いろんな風味のちがいはあっても、その原点は和歌山醤油というわけだ。
以前、とある御縁で醤油の名産地・千葉県の銚子市を訪れ、ヒゲタ醤油を取材させてもらった。ヒゲタ醤油は関東一円の料理店で絶賛されていて、有名なヤマサ醤油はこのヒゲタ醤油が本家だ。
ちなみに、ヒゲタ醤油の蔵元(当主)濱口家のご先祖様も、和歌山の湯浅出身。徳川家康が江戸に幕府を開いた直後、関東の人口が急増すると予想した濱口家は、一族を船に乗せて銚子を目指した。
「利根川の水運を利用すれば、江戸まで醤油を運ぶことは簡単だろう」
移住を決めた覚悟だけでなく、それを見抜いた商才にも恐れ入ってしまう。
事実、千葉県には勝浦市や白浜町など和歌山と同じ地名が多いが、これは濱口家のような和歌山出身の人たちが付けた名前なのだ。
そんなヒゲタ醤油のmukanteiISMを象徴する存在に、「キリン」と呼ばれる搾り器があった。醤油のモロミをじっくり時間をかけてポタポタ落としていく、伝統工芸品のような器で、理にかなったキリンの仕組みに思わず唸ってしまった。
したたり落ちる生醤油の香りを嗅いでいると、やっぱりボクたち日本人に欠かせないDNAを実感した。
なぜだか「お醤油」と、“お”を付けて呼んでしまう習慣には、無冠の帝王として称えてきた日本人の心が満ち溢れているんじゃないだろうか。