唐突だけど、携帯電話 SoftBank のロゴマークの由来を知っているだろうか?
あの「=」のマーク、実は、坂本龍馬が考えたものなのだ。彼が150年ほど前に日本で初めて立ち上げた株式会社「亀山社中=海援隊」の旗印で、それをSoftBank社がモチーフに使っている。
ところで、この「=」を龍馬は何から思いついたのだろうか
。 ちょいと見方を、変えていただこう。
横置きの=ではなく縦置きに変えたなら、二本の柱に見えないだろうか。つまり、船のマストだ。亀山社中で世界を相手にするはずだった龍馬だからこそ、閃いたアイデアだったにちがいない。
それに亀山社中を設立した長崎の海には、外国船がひっきりなしに往来し、そこかしこに帆船のマストが林立していたことからすれば、想像に難くないのだ。
ちなみに、黒船が浦賀沖に襲来する幕末まで、日本の海運の主役は帆柱1本の千石船だった。この帆柱1本という制限は徳川幕府の初期に設けられ、なるほど!の理由がある。
帆を増やせば、当然、追い風をたくさん受けるので速度がアップする。つまり、離れた土地からでも短期間で江戸にやって来れるわけだ。
例えば、徳川家の仇敵である薩摩の島津家が、鹿児島から江戸を目指せば、驚異的なスピードで攻め込むことができただろう。
江戸幕府を開いた直後、まだまだ世相は安定せず、いつ豊臣方の反乱が勃発するかも知れない状況だった。それを未然に防ぐ手立てとして、徳川幕府は、海運に厳しい掟を課したのだ。そんな制限も、勝海舟や坂本龍馬によって広まった操船術のおかげで消えていき、明治時代には、和船に多くのマストが立てられた。
現代の「海王丸」「日本丸」といった商船学校の巨大な訓練船に、その名残を見ることができるけど、あれほど有名じゃないが、無冠の帝王的な漁船が龍馬の暮らした長崎県のお隣・熊本県に今も伝わっている。
不知火海に真白い帆をふくらませる漁船「うたせ船」は往時の外国船を髣髴とさせ、あたかも海の貴婦人のように波間を滑って行く。4本マストの大きな帆を風にはらませる姿はクルーザーと見まがうほどだが、どっこい、海底の獲物を引き揚げる漁船である。潮の流れに身を任せる伝統の底引き網漁なんだけど、最近はめっきり後継者が減ってしまったようだ。
 かつて不知火海をボクが訪れた時、地元の計石港に30隻ほどの「うたせ船」が係留されていた。港の古い記録によれば、戦国時代の末期・慶長2年(1597)に、なんと!オランダ船が寄港していたとあった。
 ボクは「うたせ船」のルーツに、どこかしら南蛮船の匂いを感じていた。
 おそらく、坂本龍馬は長崎に滞在した間、幾度となく「うたせ船」を目にしたにちがいない。やわらかな陽光とたおやかな海風……ワルツを踊るような美しい船体に龍馬も魅せられ、遥かな異国を想ったのかも知れない。
 きっと、ちっぽけなその船体に無冠帝イズムを感じるのは、ボクだけじゃないだろう。
(了)