春から夏にかけて、新潟では海釣りの人気が高まる。
鉛色に荒れ狂う冬の日本海は地元漁師ですらビビッてしまうけど、この季節は様相を一変し、果てしなく青い海が広がり、砂浜には色とりどりのビーチパラソルが咲き乱れる。
ちなみに、わが菊水酒造の太公望たちも、例年、佐渡ヶ島へ渡り、黒鯛やヒラメなどの大物をgetしてくるのだ。
そのおこぼれに与って、僕は晩酌を繰り返すものの、なかなか釣行に腰が上がらないのは、船酔いよりも酒酔いの方が心地良いからである(笑)。
思えば、四国の瀬戸内海で育った小学校時代は、詰襟の学生服のポケットにテグスがいつも入っていたほどの釣り好きで、下校途中には波止場へ寄り道し、ランドセルをほっぽり出して雑魚を手釣りしていた。
中学に入った頃「はて、テグスって言葉は何語なんだろ?」と、疑問に思ったことがあった。さっそく広辞苑を引いてみると“天蚕糸”と書いてテグスと読むとあった。「な~んだ、これって当て字か」と、ろくに調べもしないままだった。
そして三十路を迎えた頃、この件で、自分の無学さを恥じた記憶がある。
大阪のとある割烹で、いつものように無冠帝吟醸をかたむけていた僕は、偶然に隣合わせたサラリーマンと仲良くなり、酒肴の話しで盛り上がった。
名刺を交換すると、先方は有名な製薬会社のオーナー家の人物だった。会社の所在地は、大坂=「天下の台所」だった江戸初期から薬問屋が密集する場所で、どことなく、その風貌にも気品が漂っていた。
料理好きが高じて海釣りに入れ込んでいるその男性が、テグスのこだわりを語り始めた時、僕は「あれって、天蚕糸って当て字を書くんですよね」と笑った。
すると男性は「いえいえ、天蚕糸が本来の名前で、それが今じゃカタカナの日常語になってるんです」と熱っぽく解説したのだった。
聴くところによれば、江戸時代までの天蚕糸は本物の蚕(かいこ)の糸。つまり絹(シルク)から作られていた。
それは中国から輸入するいろいろな漢方薬原料を入れた南京袋の“くち紐”で、男性の先祖である薬問屋は邪魔なゴミとして捨てていた。それを、たまたま四国から大坂に遊びに来ていた漁師が見つけ「この半透明の丈夫な糸なら、魚がどんどん釣れそうだ!」と、薬問屋にもらっていいかと頼んだそうな。
薬問屋の主人も「それ、おもろいなぁ! おまはんのアイデアに乗ったろ!」と言ったかどうかは分からないが、以来、薬袋の天蚕糸が瀬戸内海の漁師に使われるようになり、漁業技術を大きく進化させたのである。
なんとも痛快な、無冠帝なドラマである。その漁師も薬問屋の主人も、Mukantei ISMな人物だったにちがいない。
テグスは、無冠の帝王! その事実は、小説よりも奇なりだった。