「麹(こうじ)」って文字を日本酒つうの読者なら読めて当然なんだけど、バラエティー番組・ヘキサゴンのお馬鹿ちゃんたちからも分かるように、スラリと読める今どきの若者は少ないはずだ。
麹は、米、麦、大豆といった穀物や、それらの穀物を精白する時に出る糠(ぬか)にコウジカビを繁殖させたもので、日本酒はもちろん、味噌、醤油という醸造物から漬物、納豆、干物など発酵食品に欠くことができない存在だ。その歴史は古く、遥かな悠久の時代・大和朝廷の頃にまで遡り、当時は神やどる高貴な物だった。ちなみに、さまざまな穀物から造る酒は、原料を口の中で噛んで甕や壷に吐き出し、糖化・発酵させる「口噛み酒」だったが、この唾液のアミラーゼによって糖化する現象を「かむだち」と呼び、それがいつしか「こうじ」に変わったのだ。
むろん現代は、麹の働きを科学的な理論で説明できるが、やんごとなき昔人には、畏敬の念を捧げるべき天の恵み。僕としても、そんな古来より守られてきた摩訶不思議な力を語るほうが、ロマンティックで好きだ。

「ところで、麹って、どこで売ってるんですか?」という質問を、以前、NHKの文化センターで酒学講師をしていた折に頂いたことがある。 冒頭に申し上げたとおり、「麹」の文字が知られてないのと同様、売り場も消えていった。だって、味噌も漬物も家で造る人はほとんどいなくなったし、今じゃコンビニでだって買える。つまり麹なんて、知らなくて当たり前なのだ。
ところがである!  実は「麹屋(こうじや)」という商売が、今も残っているのである。
僕は、かつて訪ね歩いた全国の酒蔵で、「麹屋 ○○衛門」とか「■■之助 麹店」てな名前が表示されたダンボール箱をたびたび目にしていた。おりしも滋賀県の蔵元を取材中、老舗麹店の社長が偶然に訪れ、蔵元からご紹介をいただいたことがあった。
むろん麹が酒造りに欠かせないことは承知していたが、民間では手を出せない塩・タバコのような国の専売物というイメージがあったので、いささか驚いた。 「あの、麹のご商売はいつ頃からなさってるんですか?」と訊ねた僕に、品の良い白髪の社長さんは「私は十代目でして、江戸時代から250年ほど続いております。と申しましても、今は酵素や化学製品が中心でして、その一つに麹がございます」とお育ちのよさげな笑みで答えた。
興味しんしんとなった僕が麹商いのルーツについて「もともとは、専売だったのでは?」と掘り下げると、社長は「ズバリ、そうなんです」と両手を打った。
聴けば、麹の販売規制はかなり昔からあって、鎌倉時代には「麹座(こうじざ)」という公社のような組織が成り立ち、独占的に製造・販売していたそうだ。
「京都の北野天満宮が大きな麹座を手にして、かなり権力を持っていました。だれかれなく麹を勝手に造る者、売る者は、厳しく処罰されたらしいです」 社長さんが付け加えるには、当時は、京の都に日本中の物資が集まるようになってたから、麹だけでなく、灯明用のエゴマ油や貨幣用の銅なども特権階級の“座”によって取り仕切られた。
そうか〜、だから厳しい規制を敷く「座」を自由競争によって楽な形にし、市場を活性化したのが織田信長の「楽市楽座」か・・・・・・現在の規制緩和策も同じで、今も昔も、人のやることはさして変わりないのだ。

それにしても、麹座の伝統を革新しながら今日も営んでいるその社長さんは、無冠の帝王と言って過言ではないだろう。
別れ際に、僕は社長さんからナゾナゾを出された。
「ところで高槻さん、“麹”は麦ヘンですね、でも米ヘンの“糀(こうじ)”という字もあるんです。さて、これは、どっちが正しいんでしょうか?」 う~む!?  酒は米から造るから“糀”かなぁ、麦で造る味噌は“麹”か? 待てよ、じゃあ米の味噌は糀か??? 頭がコンガラがっちまったようすの僕に、社長さんは、してやったりの表情で言った。 「今度、東京にいらしたら、銀座あたりでお逢いしてこの続きをやりませんか。そうそう!  銀座だってそもそもは、銀を取り仕切る“座”のあった場所なんですよ」 なるほど、さすが無冠の帝王は、銀座の夜の帝王でもあるらしい。