木枯らし一番が、やって来た。
「こんな夜は赤提灯の湯気に誘われて、クイッと熱燗をかたむけたいねぇ」と日本酒ツウの読者ならつぶやくにちがいない。もっとも体だけじゃなく、懐ぐあいも寒い昨今、東京でも大阪でも流行っているのは、立ち飲み屋だ。
例えば東京の恵比寿にも、ここ数年、飲んで食って¥2,000そこそこの安い立ち飲み屋が林立している。店ののれんをくぐってみると、女子学生からオヤジ系サラリーマン、さらには外国人までが混在し、界隈は人種の坩堝と化している。
そんな客たちはダラダラ飲まず、小一時間程度で切り上げ、午後10時には家路を急ぐという具合だ。
まあ、店にしても回転率が上がるからこそ、安い値段でやっていけるってことだろう。
「けど、そんなもんで酔えまっか~?」
典型的なハシゴ酒タイプである僕は、とある恵比寿の立ち飲み屋で隣り合わせたサラリーマンが早目のお勘定をした時、つい訊いてみた。
「これから家に帰って、また飲むから」
な~るほどね。今流行の「宅飲み」ですな。彼いわく、週に2度だけ会社の仲間と立ち飲み屋で軽く飲み、その夜は妻とワインを楽しむらしい。しかも40歳半ばとおぼしきその男性は、週2日しか酒を飲まないと答えた。
いやはや、日本の酒飲みの将来はどうなるんですかねぇ。
「でもね、回数が少なくても、飲む時はワインでも日本酒でもいい物を選びます。家内が選ぶんです。何でも安かろうでは、ないですよ」
彼は、自分の小遣いが削られてるから外飲みは慎み、その代わり、家で飲むならカミさんも一緒に楽しむから文句はないし、少々の出費も納得するそうだ……こりゃほんま、世の居酒屋にとってゆゆしき問題ですなぁ。
でもね、当世のような「宅飲み」ブームは江戸時代から存在していた。
「うちの亭主は稼ぎが少ないくせに、飲んでばっかで」なんてカミさんの愚痴は、昔からあったのだ。だから大工の熊さんや魚屋の太助といった庶民のカミさんたちは、よ~く考えて、亭主に飲ませる酒を買っていた。
江戸時代の酒は、酒屋(造り酒屋もある)の店先で量り売りされてた。つまり、カミさんたちは自宅にある大きめの徳利を手にして酒屋へ通い、店の桶から枡(ます)を使ってそこへ移し変えてもらったのだ。だから、一升枡や一合枡は酒屋の必需品だったわけだ。
ところが、ここからがポイントなのだ!
酒屋では、でき上がったままの原酒を売っていた。
この原酒を徳利いっぱいに入れたら値段は高いが、水で薄めてしまえば安くなる。つまり、カミさんたちは酒屋に頼んで、井戸水で割ってしまったのだ。
ちなみに、これを「玉割り」と言った。
高い原酒をそのまま買うのは、偉いお侍や金持ちの商人のご内儀で、薄めるのはもっぱら、長屋住まいのカミさんたちだった。長屋のカミさんたちは、番号の書かれた徳利を酒屋から借りていた。その番号によって熊さんや太助の勘定は大福帳にツケられ、季節ごとに集金されるという仕組みだった。
これは「通い徳利」と呼んでいた。
「うちの亭主なんかザルみたいなんだから、水で薄めて飲ませりゃいいさ」
カミさんたちの割り方は、酒:水=5:5から1:9とさまざまだったそうな……う~む、このカミさんパワーこそ、無冠の帝王! と言いところだが、僕としては江戸時代のノンベオヤジを支えた「通い徳利」を無冠帝な存在としたいところである。
それにしても、外飲みを我慢せざるを得ない亭主の悲哀は、今も昔も同じですなぁ。
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