小学生の頃、正月に雑煮を食べすぎたせいで、2月の初めはベルトの穴が一つ、二つよけいになっていた。
海老入り、青海苔入り、黒豆入り……家族総出でついた餅の味は今も喉の奥から消えていないけど、あれほど食いまくった雑煮を、ここ数年は元旦の一杯だけにしている。
メタボおやじの悲しいサガ。おそらく読者のみなさんも、そんな我慢をしているのではなかろうか。
そうそう! 松の内が開ければカチカチに干からびた鏡餅を小さく割って、表面に浮いてる青かびを削り取るのが僕と弟に任された仕事だった。そのご褒美におふくろが作ってくれたぜんざいも、兄弟で意地汚く奪い合っていたなぁ。
ところが近頃は機械でついた真空パック入りの餅が巷にあふれ、どうも僕はお正月気分が盛り上がらない。確かに、硬さやカビの心配はないけれど、なんとも味気ない。
やっぱり、もうもうと湯気を上げるセイロの蒸し米を人の手でつきあげた餅は、見ても食ってもうまいと思うのだ。
そんなシーンを髣髴とさせる餅が、酒蔵にあるのをご存知だろうか。
日本酒ファンの読者にはいまさらだけど、酒造りは米の蒸し具合で決まると言って過言ではない。僕が過去に取材をしたどこの酒蔵の蔵人も「米の蒸しで、酒のできばえは決まるんだ。麹造りにふさわしい状態に仕上げることだよ」と異口同音に語っていた。むろん、そのためには前段階の米の洗い方、水の吸わせ方がとても大事で、昔は杜氏の経験と勘をたよりにしていたが、今じゃストップウォッチとにらめっこして、秒刻みの洗米や浸漬、吸水が行われている。
それでも蒸し米をしくじれば、思ったとおりの酒にはならないのだ。
じゃあ、思ったとおりの米の蒸し上がりはどうやって判断するのか。
それは、今も酒造りの現場で守り継がれている“ひねり餅”。機械設備にたよらず、杜氏の目と手と頭で見極める餅なのである。
杜氏は、甑(こしき)と呼ばれる大きな蒸し器(いわば、どでかい炊飯器のようなもの)からたったひと掴みだけ蒸した米を取り出すと、杉の板の上で手早く餅をひねる。米の水分、心白のぐあい、粒の硬さを瞬時に確かめ、最高の麹米となるかどうかを判断しなければならないのだ。
だから何百年と続けられているちっぽけな“ひねり餅”は、蔵人にとってまさに無冠の帝王なのである。
ちなみに酒蔵の使う道具は、桶や樽、麹蓋、しゃもじや柄杓など杉で作られているものが多い。古来より酒神は杉の木に宿ると伝わってきたためで、“ひねり餅”にも、その神聖な心をこめるわけだ。
僕が蔵元を初めて取材した時、老練な杜氏が大吟醸を仕込む最高級の山田錦米で“ひねり餅”を作っていた。
「食ってみるかい?」と手渡され、どぎまぎしつつ頬ばってみると、これが意外に美味しくなかったのに驚いた。
けげんな顔の僕に、杜氏はしたり顔で言った。
「酒米は、食べるとうまくないんだよ。でもね、これが酒になるとうまいんだ! 神様は偉いもんだろ?」
 そんな不思議な“ひねり餅”は、もちろん、菊水の吟醸酒「無冠帝」にも欠かせない存在なのである。