今回のテーマ“勝男武士”をすんなりと読めた方々は、歴史ツウで、しかもグルメだろう。
ちなみに、読みは“かつおぶし”で、料理のダシに使われる鰹節のことだ。

「なんだ、そのままじゃん」と言われそうだけど、この読み方には、けっこう深イイ意味がある。
字のごとく、鰹節は戦国時代まで、武士が勝利するためのお守りでもあったのだ。
侍たちは、あの黒い塊の鰹節を刀とともに腰へ差し、戦場に出向いてた。
有名な逸話では、徳川家康の直臣だった大久保彦左衛門が関ヶ原の戦いの際に、腰の回りをグルリと囲むように何本もの鰹節を差していたそうだ。

そんなの、戦う時は邪魔になるだろうと誰もが首をかしげるのだが、実は、鰹節は戦時食としても重用されていた。通常、足軽など戦場を駆け回る侍たちは、干した米を腰袋にぶら提げていた。これを噛みながら戦っていたんだけど、どうも味気がないし、イマイチ元気も出ない。
そこで、タンパク質や旨味をぎゅっと含んでいる鰹節を腰に差し、刀で削っては口に入れて、しゃぶっていた。すると腹の底からパワーが甦り、負けにかたむいた戦いを押し戻すこともできた。だから、勝男武士という呼び名が生まれたのである。

そんな戦いの護符のような鰹節に、どこか無冠の帝王らしさが宿っていると僕は思うのだ。
江戸時代を迎えると戦乱のなくなった太平の世で、鰹節は料理のダシの素として全国に普及していく。

そもそも鰹節は、枕崎(鹿児島県)や須崎(高知県)が名産地で、薪で燻した真っ黒な“荒節(あらぶし)”だった。
ところが、天下の台所である大坂に集められた荒節を江戸へ廻船で運んでいる間に、予想だにしない現象から鰹節の一大革命が起こってしまった。
ひと月ほどの船旅の間に、船底に並べられていた“荒節”の木箱の中でカビが繁殖し、すべてが黄色くなっちゃった。
しかし、廻船問屋はそれを売り物にしなきゃならない。そこで、カビをきれいに落としてみると、あら不思議! こいつが驚くほど美味しくなってて、ダシの風味もすばらしいと江戸で大人気になっていった。

いったいどうなったのかと思ったら、カビによる発酵熟成のおかげだった。つまりは発酵食品として、鰹節がさらに進化したというわけだ。 こうして生まれたのが、現在も“本枯れ節(ほんかれぶし)”と呼ばれる最高級品の鰹節なのだ。
ちなみに、おもしろい流れとして、大阪や京都などの関西人は先に述べた黒い“荒節”を鰹節だと認識している。一方、東京人は色の黄色い“本枯れ節”が鰹節で、江戸時代から数百年を経ても、この両者の違いは引き継がれている。

10年ほど前だけど、僕は和歌山県勝浦町の鰹節工場を取材した時、“本枯れ節”の極上品を食べさせてもらった。
その伝統的な食べ方に、驚いた!
「茶節(ちゃぶし)」と呼ばれるもので、カンナで削った平打ち麺のような細長い鰹節を、茶碗に入れて、白湯を注ぐだけのシンプルなスタイル。つまり削りたての本枯れ節のうまさを、お湯で存分に引き出すのだ。

湯気の中に鰹のうまみと風味が立ち昇り、ひと口すすれば、声をなくしてしまうほどうまかった。
「この美味しさを、よその土地の人は味わえんでな」
そう言った職人さんは、先祖代々、数世紀にわたる鰹節一家。まさに、無冠の帝王の家系だった。

あ~、春の初鰹が待ち遠しいなぁ。
のぼり鰹が太平洋にやって来ると、いよいよ、うまい鰹節の仕込みシーズンだ。