僕の暮らす関西では、ソメイヨシノが満開を迎えた。
咲き誇るこの桜の生命力が、日本に元気を与えてくれる気がする。

東日本大震災によって被災された方々に心からお見舞いを申し上げるとともに、美しい日本の象徴である桜ように、再び、震災地に花開く時が来る日を祈っている。 そのためにも、元気な西日本は大いに飲み、食べ、遊び、日本経済が潤うように消費を回していこう!

関西はお花見シーズンとともに、活気を取り戻してきた。大阪の梅田やミナミなどの繁華街に繰り出す人たちも、いつものせからしい(忙しい)足取りになっている。 もちろん大阪のオバチャンパワーは健在で、誰かれなくしゃべり倒し、爆笑を誘い、自粛ムードを吹き飛ばしてくれるのだ(笑)。

そんな大阪パワー復活のきっかけを作っているのが、無冠の帝王“グリコマン”だと僕は思う。
「ふ~ん・・・そのグリコマンって、どんなオッチャンなの?」 と真顔で訊かれると、ちょっと困るんですな。 確かに人にはちがいないが、実はグリコキャラメルのパッケージにデザインされている“走る男”なのだ。
「あ~、なるほど! グリコを食べて、みんな元気に! ってことね」 まあ、それはハズレじゃないんだけど・・・ボクが言う“グリコマン”は、大阪の歓楽街・道頓堀(どうとんぼり)にある巨大なグリコのネオン看板なのだ。

大阪へ来たなら誰もが訪れる名所・心斎橋(しんさいばし)には、おもろいネオンや看板がぎょうさんある。カニ料理やふぐ料理の巨大な張りボテ、けったいな格好をしたキャラクター人形など、デジカメを手にした観光客は長蛇の列を作るのである。 そんな道頓堀の町の賑わいを一世紀近く見守ってきたのが、グリコマンのネオン看板なのである。

道頓堀のグリコ看板は、今から76年前の昭和10年(1935)に生まれた。
その高さは33m! 6色の贅沢なネオンでトレードマークの男性ランナーを光らせ、毎分19回も明滅したハイカラな存在だった。戦前としては型破りのネオンで、一躍、大阪の名物となったわけだ。 しかし昭和19年頃には太平洋戦争とともにネオン点灯が中止され、世相を反映して道頓堀も暗鬱とした町並みに変わっていった。ついには、グリコマンの看板を軍需用鉄材として没収する命令が下り、撤去されてしまった。

そして大阪大空襲の被害によって、道頓堀の町は灰燼に帰した。
ようやくグリコマンのネオンが再建されたのは、1955年(昭和30年)。戦後の大阪復興のシンボルとして市民に愛され、少しずつデザインを変えながら、大阪人の夢と希望を輝かせてきた。まさに庶民の味方、無冠の帝王なのである。

実は今回の東日本大震災の直後、グリコマンや道頓堀界隈のネオンも関東での甚大な電力不足をおもんばかって、点灯を自粛していた。 しかし元気な関西が、ネアカな大阪が、いつまでも暗いままやあかん! 日本を、大阪から明るくせなあかん! そんな大阪人とともに試練と困難を乗り越えてきたグリコマンのネオンが、4月から再び点灯したのだ。

読者の方々、あらためてグリコのパッケージをじっくり見ていただきたい。
ひたすら元気に走る、グリコマン! その背景には、しっかりと「日の丸」が描かれているのだ。
がんばろう、日本!