先日、銀座のある居酒屋で、心なごむ光景に出会った。
カウンターの端っこに座った男性客が、宮城県の地酒と、その肴に“ばくらい”を注文した。

“ばくらい”= 莫久来と書くんだけど、これを好きな人は、そうとうな日本酒党だと思う。かくいうボクも三指に入れている酒肴の「無冠の帝王」だけど、鮮度が勝負の食べ物なので、残念ながら関西ではめったにお目にかかれない。
その同じカウンター席にいたほろ酔い顔の親爺さんが「な、なんだって? ばく、ばく?……それって、なんなの?」と、見ず知らずの男性客に問いかけた。
「ば、く、ら、い。三陸の珍味です。ホヤとナマコの内臓で造った塩辛なんですよ。あの、よかったらひと口、どうすか?」と、袖すりあうも他生の縁という雰囲気になった。 親爺さんは、オレンジ色の物体にいささかドギマギしながら箸を動かしたが、口に入れた途端!「お~! こりゃ、うまいよ~、ツマミに最高だねぇ!」
そんな一期一会から、男性が仙台市の出身であり、親爺さんは彼の実家の罹災に聞き入り、宮城の地酒を注文して彼をいたわった。 小一時間もすれば、二人そろって東北の酒に酔いしれていた。

ボクが“ばくらい”と初めて出会ったのは、十数年前に取材で訪れた仙台朝市(せんだいあさいち)だった。
店先の山盛りになっている珍味の前で、試食品をツマミに、男性客たちがカップ酒を飲んでいた。「これは、イイ絵になるな~」と近づいたボクに、店のおっかさんが薦めたのが“ばくらい”だった。
しかし……昔に鮮度の落ちたホヤで痛い目にあった経験から、実は、脇の下に冷や汗をかいていた。
ホヤは別名「海のパイナップル」と呼ばれてるけど、あのいびつな色・形に初めてお目にかかったら、誰もが一瞬引いてしまうだろう。余談ながら、“ばくらい”の由来は、兵器の“爆雷”の形に似ているからって説もある。
しかもホヤは時間の経過とともに猛烈な臭いを放つので、パイナップルというよりも「海のドリアン」てのが、ボクの本音だった。 すると、おっかさんいわく「あんた、ホヤが苦手なんだべ? それは、最初に本物の仙台のホヤを食ってねえからさ。これは臭くないし、新鮮で甘くておいしいよ~。だまされたと思って、食ってみて!」
元気なおっかさんの勢いに負けて、え~い、ままよ!とパクリ。
するとどうだ! あの悪夢のような食感と異臭はまったくなく、「これ! 炊き立てのご飯にもバッチリですね」と、あろうことかボクは感動の声を発していた。
以来、仙台と聞けば“ばくらい”と連想してしまうほど、イチオシの肴。東北ツマミの無冠の帝王なのである。

そんな“ばくらい”とともに、北日本の酒も飛ぶように売れているそうだ。
百貨店で「東北の酒は、どれだ?」、全国の銘酒を置いてる居酒屋も「三陸の地酒を、飲みたい!」と、数十年前の地酒ブームが再来したかのようにお客さんの声が聞こえてくる。 むろん、それは東日本大震災の復興支援の現われなんだけど、やはり実感するのは、誰もが日本人のDNAである「和のこころ」を失っていないことだ。

日本酒、日本食、日本人の心、やさしさと思いやり……ボクたちが忘れかけていた大切なものを、今夜は“ばくらい”を肴にしながら、見つめてみようか。