先日、福井県を旅して10年ぶりに曹洞宗の本山“永平寺”の山門をくぐった。 幽玄な気配と深い山の冷気を感じながら歴史ある伽藍をあらためて拝すると、50歳を超えたせいだろうか、禅宗の教えが以前よりも身近になった気がした。 ふと、庫裏(くり)堂の廊下に吊るされている4メートルもの巨大な棒が目に入った。“大すりこぎ棒”と書かれて、どうやら禅寺の食材である胡麻(ごま)豆腐を作るすりこぎ棒をモチーフにしたようだ。 この大すりこぎ棒は「身をけずり 人につくさん すりこぎの その味知れる 人ぞとおとし」と詠われ、己を無にして人のために生きる永平寺の雲水(うんすい/修行僧)に大切にされている。ちなみに、棒を撫でると料理が上手になるそうだ。
「巨星 落つ……か」
ジョブズ氏が生み出したパソコン“Macintosh”に僕が初めて触れたのは、かれこれ25年ほど前だった。 彼らが構築していったインターネット空間こそ、アメリカの未来学者 アルビン・トフラーが1950年代に予言していた世界の文明を変えてしまう“第3の波”であった。そして、インターネットの普及とともにジョブズ氏の挑戦はさらに拍車がかかり、IMac、Ipod、Ipadとパソコンビジネスの概念を超えた画期的な商品を最先端のムーブメントやファッションとして矢継ぎ早に開発したのだった。 そんな時を惜しむかのようなジョブズ氏の来し方の理由に、日本の“禅”の心があると聞いていた。
この思想には、ジョブズ氏が生涯の師と仰いだ曹洞宗の僧・乙川弘文 氏の教えがあった。 その後、乙川氏は布教活動のために渡米し、若き日のジョブズ氏に出逢い、禅の心を説いたてジョブズ氏が経営する企業の宗教指導も担当し、彼の結婚式までも司った。 つまりジョブズ氏は乙川氏に出逢ったからこそ自分の人生を発見し、apple社を繁栄させたといっても過言ではない。それは、あたかも「人生は点で過ぎるのではなく、線で結んでいくことによって成り立つ」という禅の教えそのものだろう。 しかし平成14年、乙川氏は5歳の孫娘を救おうとして溺死してしまう。おそらくジョブズ氏は深く悲しみながらも、それが「人のために生きる」禅の道と悟っていただろう。
雲水たちの読経が流れる中、僕は大すりこぎ棒に触れながら、偉大なスティーブ・ジョブズの人生観を創り出した乙川弘文 氏に、“無冠の帝王”を感じていた。 |