京都の紅葉シーズンが年々、遅くなってきている。
今年、南禅寺や清水寺のもみじが盛りを迎えたのは師走の初め頃で、僕はマフラーにコートといった防寒スタイルで木枯らしの吹く境内を散策した。
暖冬の影響とはいえ、年の瀬を迎えてから名刹や古寺の庭園が錦繍に染まるなんて、自称京都つうの僕にはガッカリなのである。 それほど、「古都の秋」という風情が見あたらなくなっている。

え~い! せめて京料理を満喫してやろうと先斗町(ぽんとちょう)や木屋町(きやまち)あたりへ繰り出してみても、最近はありきたりな居酒屋やチェーン店ばかりだし、かといって本格的な京割烹の懐石料理なんて手が出ないし・・・・・・待てよ? 考えてみれば、京都ならではの無冠の帝王的な料理ってなんだろう? と僕は三条河原町の高瀬川のたもとで腕組みしてしまった。

京都の大衆的な料理といえば“おばんざい”、ちなみに「お晩菜」と書く。
おばんざいはオフクロの味を想わせる家庭のおかずなんだけど、味わいやしつらえがそこはかとなく上品なのだ。

献立にはいわゆる京野菜が多く使われ、えび芋、かも茄子、九条ねぎ、万願寺(まんがんじ)とうがらしなど、雅な呼び名にウットリしてくる。そんな京野菜の旨味を昆布や鰹の一番ダシで引き出したおばんざいには、やはり“まったり”とか“ほっこり”というおいしげな京言葉が当てはまるのである。
とりわけ、僕が大好きな献立は「鰊(ニシン)茄子」という煮物で、こいつは酒の肴として、ご飯のおかずとして万能なおばんざいだ。
柔らかに煮たニシンの身はほぐしやすく、かも茄子にもその滋味がじっくりしみている。

「でも、どうして京都なのにニシンなの? そもそも北海道の魚でしょ?」
京都のおばんざい料理の店で、旅行者のそんな声を耳にすることがよくある。

確かに、昭和時代までニシンは小樽や函館など北海道周辺の海が漁場で、どちらかといえば関東以北の土地で食べられていた。
鮮度が長持ちしないので、江戸時代は頭とはらわたを取って干物にした“身欠きニシン”が広まり、これが北前船によって福井の小浜港や京都北部の舞鶴港へ輸送されていた。そこから若狭街道をたどって京都へもたらされ、京野菜とともに食卓に並んでいたわけである。

山に囲まれた盆地の京都では、とにかく海産物が手に入りにくかった。
大坂の雑魚場(ざこば)から淀川を船でさかのぼって運ばれる魚介類は少なく、しかも値が高い。だから北海道で大量に獲れて安価だったニシンは、京都庶民の家庭料理に好都合の蛋白源になった。

今も“ニシン蕎麦”や“昆布巻きニシン”などは定番中の定番メニューで、「身欠きニシン」と呼ばれながらも、おばんざいには欠かせない無冠の帝王なのだ。
余談ながら、先述の若狭街道は別名「鯖(サバ)街道」とも呼ばれ、若狭湾で獲れたサバの塩漬けも京都まで運んでいた。 ゆえに京都では、サバ寿司も名物的なおばんざいになったのである。