新海苔(しんのり)の季節が、やって来た。
と聞いても、垂涎する日本人は少なくなってるんじゃないだろうか。
海苔が僕たち日本人の食卓に無くてはならない“無冠の帝王”であることは、読者の方々も同感のはず。「おにぎり」に始まり、寿司の「太巻き」や「軍艦巻き」、そしてラーメンや和風パスタのトッピングまでバラエティ豊かに使われているけど、実は、旬の時期がある嗜好食材ってことを現代人は忘れてしまっている。

そもそも海苔は海藻と同じで、真冬の冷たい海の中で芽を出して成長する。 遥かな昔は春先になると漁師たちが波打ち際の岩肌から海苔を掻きとって、そのまま生食していた。これが僕たちが食べている瓶詰めの“岩海苔の佃煮”の原形だ。

中世になると、乾燥させた海苔が保存食として普及した。
そして江戸時代にはスノコの上に敷いた天日干しの板海苔が廻船によって流通し、現代で大量生産される“焼海苔”や“味付海苔”に至っている。

さらには海外での日本料理や寿司の人気とあいまって、今や海苔は世界的な無冠帝に成長している。
とりわけ和食ブームが席巻しているサンフランシスコやロサンゼルスでは、海苔を「Seaweed(シーウィード)」と呼んで、ヘルシーフードとして食べるネイティブなアメリカ人が急増している。

驚いたのは、海産物の香りが大の苦手なユダヤ系の人たちが、臆することなく海苔巻きにハマってしまっていること。かつて僕が西海岸を旅した30年前、手土産に焼海苔をプレゼントした友人は「こんな得体の知れないモノを日本人は毎日食べるのか!?」と目を白黒させていたが、それも嘘のような時代になった。

ところで、海苔は旬だけでなく、産地によっても味がさまざまだ。
有名な「有明海苔」は佐賀県の有明海、「浅草海苔」は千葉県の東京湾沿岸で獲れる。ほかにも、三重県産の「白子(しらこ)海苔」、香川県産の「瀬戸内海苔」、幻の海苔と呼ばれている島根県十六島(うっぷるいじま)の「うっぷるい海苔」……ひと口に海苔と言っても、枚挙にいとまがないほど存在しているのだ。そんな各地の磯の風味、緑や褐色の色合い、一枚一枚の厚みのちがいを、かつて僕たちの先祖は毎日楽しんでいた。いわゆる“唎き海苔”である。

この贅沢な海苔の食べ比べに欠かせない、もうひとつの無冠の帝王が「海苔焙炉(のりほうろ)」だ。
一見、なんの変哲も無い木箱だが、こいつが粋な仕事をしてくれる。
底の部分にいこした炭を入れて、上部にはめこまれた金網へ板海苔をのっけて炙ると、たちまち磯の風味が香ばしく立ち昇ってくる。

余談ながら、江戸時代から続く神田や両国あたりの蕎麦屋では、昼下がりの一献を楽しむ常連客に海苔焙炉を用意している老舗があって、それは往時から続くしつらいである。 僕は先日、暖簾をくぐったある蕎麦屋で、町内の上品なご隠居さんが若い旦那に人生訓を指南しつつ、海苔を焼きながら酌み交わす姿を目にしていた。

店内に漂うほのかな磯の香り、年季の入った海苔焙炉の木肌、そして江戸っ子らしい二人の口調に、心温まる憧憬を抱いたのである。
読者の方々も、一度、そんな蕎麦屋を訪れてみてはいかがだろう。
ファーストフードやコンビニに取り囲まれる忙しい僕たちに、海苔焙炉は遠い昔の古きよき日本を想わせてくれるにちがいない。