般若湯と書いて、「はんにゃとう」と読む。
はて、いきなり何のこと? と首を傾げる方は、おそらく若い読者に多いのではないだろうか。実はこれ、酒のことを言う仏教上の隠語だ。
字のままに推察すれば、能舞台に登場する般若つまりは“鬼女の飲む湯”って想像してしまうわけで、「な~るほど! 酒に酔っちゃうと、鬼になっちまうこともあるからなぁ」と納得してしまう。
しかし、深いイイ話になると、これがとってもミステリアスかつ神聖な酒になってくるのである。
僕が般若湯を初めて口にしたのは、物書きの世界に入りたての若僧の頃。かの霊験あらたかな高野山 金剛峰寺、いわゆる真言宗の総本山を取材助手として訪れた時だった。
いかにも功徳を積まれたらしい高僧の取材を終え、シビレまくった正座の足をほどく取材スタッフたちの前に、一杯ずつ湯呑み茶碗が置かれた。
まあ、お茶の一杯程度は出るものだろうと思ったのだが、先輩のカメラマンや照明担当たちは俄かに頬をゆるめて、「待ってました」ともみ手していた。
ふ~ん、そんなにうまいお茶なのか? いや、たぶん美味しい茶菓子でも出てくるにちがいないぞ。唾を飲みつつ邪推する僕に若い僧侶から湯飲み茶碗が手渡されると、そこからは酒の匂いが立ち昇ってくるではないか。
「えっ!えっ! 間違いじゃないの!?」と洩らす僕を、先輩たちはしたり顔で「般若湯だよ。お前、知らないの? 勉強がたらんなぁ」とたしなめた。
グビリと喉を鳴らしてそれを飲む先輩に僕がどぎまぎしていると、高僧がおもむろに口を開いた。
「仏教の修行では、自分自身の感情を無にして、頭に入ってくるさまざまな念を区別しなければいかん。ちゃんと区別できる力を、“般若の智慧”というのじゃ。般若の智慧には色々あるが、それらは人の五感を超える力。例えば禅の修行によって得られる不思議な神通力とでも言うかのう。近頃の若い人たちの言う“超能力”みたいなものじゃな。酒に酔うことは、そんな状態にも似ていることから、般若湯が生まれたのじゃよ」
う~む、僕の先祖は神社なので禅道には疎かったのだが、そもそも飲酒や好色は仏門の御法度のはず。これじゃ、れっきとした高野聖のお坊様たちが“生臭坊主”になっちまうではないかと、僕は無礼を承知で高僧に訊ねたのだった。
「なるほど、道理じゃのう。しかしなぁ、その昔、酒は寺で造るものだったのをご存知か。このお隣の奈良県にある正暦寺が、その発祥じゃの。僧坊酒(そうぼうしゅ)と呼ばれておったのじゃ。つまり全国の名刹と呼ばれる寺の庫裏や土蔵には、たんと酒甕が並んでおったわけ。じゃから、坊主に飲むなという方が無理無体じゃろう。わっははは~」
そもそも平安時代までは、奈良の春日大社など神社で酒造りは行われたが、鎌倉時代以後は仏教が普及したこともあって、領主の武将たちは一族の菩提寺などに酒造りを命じていたと高僧は答えた。
酒文化に未熟だった僕は常識を覆す言葉に唖然とし、その時の驚きは、今日の日本酒ジャーナリストへの一つの糸口になった気がしている。
つまりは、武士は酒造りの既得権として僧侶の飲酒を黙認したわけだ。
まあ、考えてみると似たような既得権は昔から存在していて、金座、銀座、油座なんていう専売組織が物資と市場を牛耳っていた。それに、酒造りに使う麹も、室町時代までは「麹座」という京都の神社組織が独占していた。
そんな既得権を破壊したのが、ご存知、織田信長の奨励した楽市楽座。誰でも物品を売買できるという自由市場主義で、思うに、信長の神仏嫌いは、既得権にしがみついている神官や僧侶にあったのかも知れないなぁ。
おっと、話が横道にズレてしまった。
さて、世間の暗黙裡に造られ続け、不思議なオーラを秘めている般若湯を、無冠の秘酒と僕は思っているわけだが、これを存分にふるまってくれる町がある。
それは八十八ヶ所遍路の旅ができる、四国の各県。
札所と呼ばれる古刹のある町に辿り着けば、お遍路さんに休憩所を用意したり、茶碗一杯の米を差し上げたり、時には一夜の宿まで提供する「お接待」という風習が今も残っているのである。
僕も、四国に帰省するとお接待の機会がたまにあるのだけど、その場でふるまう般若湯に、これからは「無冠帝 純米吟醸」を使うことにしたのである。
純白の遍路装束に、それぞれの人生のドラマを包んだ人たち。自己をじっくりと見つめ直そうと、遥かな八十八ヶ所の巡礼に向かう背中にも無冠帝イズムを感じるからだ。
そして……いつか四国を故郷にする僕もそんな遍路の旅に出て、無冠の般若湯に清められたいと思っている。
読者諸氏も旅先の名刹を訪れたなら、各地に伝わる「般若湯」文化に触れていただきたい。
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