梅雨入り前だというのに、もう夏の蒸し暑さが新潟にやって来ている。
そう言えば昨年もどっぷり汗をかいて、「ビールのプールで泳ぎたい!」なんてダジャレをつぶやきながら、夜な夜な冷たいシャワーを浴びていた。
でも、新潟で暮らす二度目の夏は、ささやかな楽しみもある。梅雨明けが旬の、とっておきの肴を心待ちにしているのだ。
去年の夏、いささかバテ気味だった僕に、菊水酒造で働く熟練の親爺さんが「これ、無冠帝とやってみろ! ウメえぞぉ~。すぐに元気が戻るさぁ~」と小さな紙包みをくれた。
開いてみると、「鮭の酒びたし」の文字が目に飛び込んできた。パッケージを見ただけで、俄然食欲、いや、飲欲が湧いた。
そいつは下越地方の名物で、日本酒ツウなら一度は食べてみたい珍味中の珍味!
名前の通り、鮭の身を酒にひたした肴だけど、そんじょそこらの鮭ではない! 知る人ぞ知る「塩引き鮭」と呼ばれる逸品を使っているのだ。
僕が塩引き鮭を初めて味わったのは、かれこれ8年前の冬。ちょうど新潟県北部の酒蔵めぐりをしていて、菊水酒造がある新発田市を後にし、最北の村上市を訪ねた日だった。
雪景色の市街に入って驚いたのは、家並みの軒下にぶら提げてる鮭!鮭!鮭! 腹を開いた鮭の赤い身と白い雪のコントラストが壮観だった。村上市の古い町屋と塩引き鮭の行列があいまって、僕に江戸時代の村上藩の風情を偲ばせた。
ところで、この塩引き鮭。読者の方たちが朝ごはんで召し上がってる一般的な塩鮭とは、いささかちがっている。
朝ごはん定番の塩鮭や新巻(あらまき)鮭は塩をしてシメると半月ほどで出来上がり、ほどなく我々の食卓へ届くことになっている。しかし塩引き鮭は、たっぷり日数をかけて塩に漬け、丸一日を流水で塩抜きした後、屋外の寒風にさらすこと一ヶ月。そのほとんどが手造りの自家製品で、千年以上前から地元の保存食なのだ。つまり、大量流通はできない。
ちなみに感心したのは、延喜式と呼ばれる平安時代の文献に塩引き鮭が朝廷に献上されてた記録まで残っている。さらに、帝はあまりにも美味しかったのか、下越の人たちが鮭を食べ過ぎることを禁止じる勅令も出していた。
うまいもんに食い意地が張るのは、今も昔も変わらないなぁ。でも確かに、村上の鮭料理バラエティーを知ったら、誰だって帝の気持ちに同情するだろう。
まさに“鮭づくし”のメニューが40種ほどあって、頭から尻尾まで捨てるところはなく、もちろん卵(ハラコ)は、醤油に漬ければ万能のおかずになる。村上はいつも大漁の鮭に恵まれ、地元民の胃袋を賄ってきたわけだ。
そんな料理の中で“酒びたし”を、僕は無冠の帝王に選びたい。厳寒期に仕込んだ塩引きの身を、夏を越すまでさらに熟成乾燥させ、それを酒で柔らかく戻すという贅沢さ! 村上人の智恵が生んだ、素朴な絶品なのだ。
ちなみに、明治初期までは信濃川や阿賀野川などでも鮭がたくさん遡っていたらしいが、乱獲と近代の水質汚染のせいで激減したそうだ。
その名残か、寿司ネタにしろオカズにしろ、新潟では鮭メニューにお目にかかる回数が多い気がする。
そんな中で村上地域が、塩引き鮭の文化をしっかり守ってこれた理由がある。
実は、江戸期の村上藩は鮭の漁獲によって財源を確保すべく、卵の孵化に挑戦! 世界で初めて鮭の養殖に成功していたのである。
鮭の漁場である三面(みおもて)川のほとりには、その伝統を受け継ぐ養殖場が設けられていた。川の堤から伝統の鮭漁「いぐり網」を眺めていると、土手を除雪する親爺さんが人懐っこい顔で近寄ってきた。
「今年も、たぐさん“いよぼや”獲れてるねぇ。いや~、いがった(良かった)ね」
「あ、あの……“いよぼや”って? なんですか?」
関西人らしき男の唐突な質問に親爺さんは一瞬うろたえたけど、すぐにニンマリして、教えてくれた。
「“いよ”は、魚だ。“ぼや”はスゴイってことさ。だから鮭は、魚の王様ってことさ。わしらにとっては、高級な鮪や鯛よりも、ずっと美味しくて、一番好きな魚さ」
「おお! 村上の鮭こそ無冠帝や!」
そして数日間、僕は“鮭びたりの酒びたし”というノンベの極楽を楽しんだのである。