「水屋(みずや)って、知ってる?」
そう訊くと「食器棚のこと」と即答できる人は、最近めっきり少なくなっているんじゃないだろうか?
かく言う私も、この言葉を使う機会は実家の四国へ帰省する盆・暮れぐらいのもので、老齢を迎えた父親との食事にポロリとこぼれ出るくらい。成人した我が息子や娘たちの口からは、とんと聞こえてこないのである。
今やコンビニが台所や冷蔵庫代わりの若者にしてみれば、水屋はほとんど死語に近い存在となっているようだ。
しかし、実は水屋のルーツとは食器棚じゃなくて、たまたま水を扱う場所や台所にある棚をそう呼んだのが由縁なのである。
だから、全国各地の水の豊かな土地に行くと、それぞれ水屋の意味が微妙に異なるのである。
岐阜の郡上八幡では、沢水を溜める大きな石の水槽、京都では茶道用語を指す場合が多くて、茶室の隅で器を洗ったりする場所のこと。奈良では、お寺や神社の手水場のことを総称している。珍しいのは、徳島県の吉野川をずいぶん昔に訪れた際、洪水から避難するための廃屋小屋をそう呼んでいた。さらに、そのものズバリ! という意味だと、江戸時代に冷えた井戸水を木桶に入れて、天秤棒をかついで売る水屋が繁盛していた。
これが逆に、甲信越や東北に行くと水屋という言葉を使うことは少なく、どうやら茶の湯文化が早くから普及した関西に広がっているらしい。
そんなふうに観ると、水屋が、いかに日本人にとって身近な言葉であったかを実感する……その響きには、懐かしい母の割烹着姿を想ったりするのである。
近年は、環境保護というスローガンが当たりに謳われる時代。水資源だって無駄にしてはいけないという考えから、さまざまな水エコロジーが登場しているけど、実は、日本人が昔からその使命を果たしていた証拠が水屋には残っているわけだ。
そんな水辺の無冠帝として私が選んだのが、奥琵琶湖の町「醒ケ井(さめがい)」で使われている水屋だ。
普段、琵琶湖の水と聞けば、関西人は「汚れている」「悪臭がする」と夏場の水道水のマズさにうるさいんだけど、この町の疎水沿いを散策すれば、奥琵琶湖周辺の水のすばらしさに思わず度肝を抜かれてしまう。
静岡県の清流・柿田川に繁殖していることで知られる川藻のバイカモ、絶滅危惧種に指定された淡水魚ハリヨが町の側溝に棲息し、池や沼の水面では漁師たちがれっきとして生計を立てている。
流れのそこかしこには水汲み場がしつらえてあって、きらめくせせらぎが都会人の目を癒してくれる。ふと気づけば、なにげない清流の音に気分は浄化され、日頃の疲れには特効薬だ。
私は、とある一軒の水屋を拝見した。
300年あまり続いている旧家の水屋は、大きな御影石の水槽が段々に詰まれて、上から飲料水用、食材洗い用、食器洗い用と3つの槽が連なっていた。最下層の水辺には鯉がゆうゆうと泳ぎ、食器を洗った後の残りかすを始末してくれるというわけ。
そのアイデアに、醒ケ井を訪れた都会人たちは「なるほどね〜」と感心し、最近は京都議定書の影響か、海外からエコロジストたちがやって来ては、しばし水屋に見入ってしまうそうだ。
私は絶えることのない醒ケ井の湧き水に魅了されつつ、自身の日々の暮らしに、水の恵みへの感謝を忘れていることを恥じていた。
「こいつは、大切な家族なの。私のしゃべることが、ちゃんと分かるんですよ」
お家のご主人は、そう言って鯉に近づいた。すると鯉が尾びれをゆっくりと動かせて、目前にやって来た。
黒光りしている水槽も無冠帝な存在だけど、悠然と泳ぐ鯉も、この家の無冠帝だ。
察するに、ご主人は人生70年……ずっと変わらないままであったろう柔和な笑顔に、無冠帝イズムが揺れていた。
私はその波紋の中に、素朴な水辺の暮らしと文化に潤された日本の心を、今一度、見つめ直したいと思った。
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