四国の瀬戸内海で産湯をつかった私は、海が大好きだ。だから、魚も大好きだ。
「日本酒の肴は、やっぱ魚だもんね~」という読者の声にも、むろん同感である。
子どもの頃から魚を食べるのもさながら、夏が来れば、素潜りで瀬戸内名物のベラと呼ぶ魚を獲ったり、イイダコを手づかみしていた。そんな獲物は、まさしく父の酒肴に化けていた。
あれから40年……新発田に昨年暮らしてからは日本海が目の前に広がり、どこまでも青く澄んだ海岸線が“おいでおいで”をしてくるので、オヤジ真っ只中の年齢ながらも素潜りデビューの日を計画し、ウズウズしている。
地元の居酒屋にたむろする日焼け男たちに聞いてみると、関西の海ではお目にかかることのない“天然の岩牡蠣”なんて獲物にも、ありつけるらしい! 全国各地、豊かな海がある町には、海女(あま)というより海坊主のような素潜り漁師たちがいるのである。
かつて全国の酒と肴を取材していたフリーライターの頃、そんな漁師たちとの一期一会を繰り返して、日本人の漁労の知恵につくづくと感心した。
つまり、海がちがえば獲物もちがうけど、使う道具がこれまた千差万別でオモシロイのだ! およそ常識じゃ疑ってしまうような形や使い方で、ご当地ならではの海の環境や漁師のアイデアから生まれた、突拍子もない珍品にお目にかかることがあった。
これぞ無冠の帝王! と呼べる存在なのである。
そんな中で想像だにしなかった道具が、高知県で見つけた巨大な“クエばさみ”だった。
土佐湾沿いの漁港を取材中、そのドデカイはさみが水揚げ場に転がっているのを発見した私は、唖然!呆然! 50cmもある両刃に五寸釘のような尖った針がズラリと並んでいるところから、何かを捕まえる道具だとは察したが……重さは、おそらく5kgはあったんじゃなかろうか。
う~む、カツオやマグロは遠洋魚だから、こいつは必要ないよなぁ。だけど岩場のカニや伊勢エビ獲りには、大きくて重たすぎるよなぁ……とつぶやいている私の背中に「そいつぁ、クエばさみじゃき。まあ見ちょれ、こうして使うきに」としゃがれた土佐言葉が飛んで来た。
振り返ると、くたびれた野球帽をかぶった親爺さんがいて、はさみを手にするやいなや倉庫の奥から丸太棒のような巨大魚の唇をつかんで、引きずり出したのである。
いやはや、おったまげた! クエと呼ばれるその魚は、1m近いサイズ。「はた」とか「いしなぎ」とも呼ばれ、いわゆる根魚で岩礁地帯に棲んでいる。だから、この道具を持って海に潜った漁師たちは、海底の岩の下でじっとしているクエの唇をはさんで引っ張り出すというわけだ。
“土佐のいごっそう”そのままの、豪快すぎるアイデアなのである。
それにしても、このクエばさみ! いったいどこで買ったの? と親爺さんに訊ねたら、高知県の観光名所の一つ、龍河洞(りゅうがどう)と呼ばれる大洞窟のある土佐山田町だと教えてくれた。俄然、取材の虫がうずき出し、矢も盾もたまらず現地へ向かってみたら、土佐山田町は古くから刃物の名産地で坂本龍馬や幕末の志士たちの刀も造った土佐藩自慢の刀鍛冶の町だった。
近代に入ってからは包丁の製造が中心になったが、最近はこの世界にも海外生産の低価格品が出回っているそうで、寂しい限りである。
老舗らしき刃物屋さんの話を聞けば、土佐の伝統工芸を維持するために農業や漁業の道具、例えば鍬(すき)や鎌から銛(もり)や釣り針までこだわりの道具を手造りし、その品質のすばらしさに全国各地の常連さんからオーダーが来ているそうだ。
「あれは千葉県の印旛沼で天然ウナギを取る、突き棒。これは大間のマグロ漁師さんから注文が来た釣り針です。こっちは与那国島のカジキマグロ漁の銛。まあ、その人だけが使う特注品ですし、一年に何個も売れる道具じゃないので、楽しみながら丁寧に造っていますよ」
そんなオリジナルの道具造りを始めてからは、見ず知らずの土地の魚、その漁法や漁師の人となりに魅せられて、まだまだ土佐刃物の伝統と技を生かせる場があることを確信したと言うご主人も、無冠の帝王だった。
クエばさみを使いこなすのは無理としても、新発田の海坊主になりたい私としては、あの土佐刃物ならではユニークな素潜り道具を手に入れたい毎日なのだ。