「上司と飲みに行きたい! 先輩に誘ってもらいたい!」
思いがけない声が、最近、東京の新・社会人たちから聞こえ始めているらしい。
ひと頃前までは、上司に付き合い酒を誘われても臆面もなくお断りするのが、若者の定番だった。気の合う仲間とのサークルや趣味を優先し、休日には自分だけの時間を求め、コンビニでスナックとペットボトルのドリンクを買い込んでは、独身のマンションでDVDに耽るという彼らのライフスタイルに、“さしつさされつ”の付き合い酒で生きてきた私なんて、もっともウザいオヤジだろうなと思っていた。
ところが今、高田馬場や上野など都内の下町酒場では、私好みの懐かしい人情もようを目にする機会が増えている。縄のれんや赤ちょうちんの立ち飲み屋は、夜な夜なホッピーやハイボールのグラスを手にする老若男女で溢れ返り、このところ声高に叫ばれている“不景気や消費低迷”とは無縁の雰囲気に包まれ、あたかも台湾やシンガポールで体験した屋台街のような熱気に満ちている。
時にはお銚子を手にした年配の男性が、慣れない手つきで盃を持つOLにお燗酒を注いでいるシーンもあったりで、日本酒にようやく光明が射してきたかとほくそ笑んでいる。
それを見るにつけても……この一年で、一気に世の中が変わっている観がするのは、私だけじゃないだろう。
世界金融危機、地球温暖化、核問題、政権交代、枚挙にいとまがないほどの環境変化が、ずっとノンビリ気味だった日本の目を醒ました。そして、農耕民族として和を大切にしていた日本人のDNAを呼び起こしているようだ。
だから、不安と不満を煽られながら不毛の時代を生きていく若い人たちは、人のぬくもりと酒の場が日々恋しくなって、冒頭のような変化が起こっているのだろう。
とりわけ日本酒のアイデンティティは、人と人を取り持つことにあった。
酒を注ぎ合う“さしつさされつ”は思いやりの形で、その価値が花開いたのは、太平の世を迎えた江戸時代。テレビもラジオも、DVDもない頃、酒は暮らしの中の最高の楽しみであり、人を持て成すのに欠かせない存在だった。
お客が家に来れば、旬の膳を仕立て、花鳥風月を愛でながら、芸や座興に酔いしれる。家々の主は、そんな風流な酒席の器にもいろいろ趣向を凝らしていた。
中でも「鶯徳利(うぐいすとっくり)」と呼ばれる器は、私のイチオシ。当時のホスピタリティーを今に伝えている、無冠の帝王的な酒器だ。
酒を注げば、あら不思議! 「ピョ、ピョ」と愛嬌のある音が、徳利の上に乗っている鶯の焼き物から聞こえてくる。実は鶯の下部が笛になっていて、酒を注いだ分、徳利に空気が入ることで音が鳴るという仕掛け。
一種のカラクリ物だけど、そのユニークな知恵に、現代人の私たちも思わずニンマリとしてしまう。ちなみに菊水酒造はこの徳利をレプリカ販売しているんだけど、使って下さった皆様からは、予想を超える驚きと喜びの声が返ってきている。
(参考:藤巻商店 http://www.fujimakishoten.jp/2009/07/post-45.html)
ちなみに、江戸時代の大店の旦那様たちは、春先に新酒の季節が来ると庭に梅の木をズラリと植え、本物の鶯を枝に放して、豪奢な宴を催していた。
「鶯徳利なんぞより、本物の鶯の声を肴に」というわけである。
例えば、大阪の淀屋(現在の淀屋橋の由来)という豪商は梅や桜を買い漁り、おまけに天井には巨大なガラスの水槽をこしらえて錦鯉を泳がせたため、贅沢すぎるという咎で幕府から取り潰されている。
なんとなく、つい最近のIT長者の凋落に似ていて、これも昔から変わらない日本人の悲しい性に思えてしまう。
その一方で、鶯徳利は庶民のささやかな贅沢のシンボルだった。
物見遊山に行く金もなく、手入れする庭もなく、猫の額ほどの狭い長屋に暮らしながら、友が来れば鶯徳利で酒をふるまい、ささやかな幸せを分かち合っていた。
そんな鶯徳利のさえずりは、現代人を和ませる妙薬になるんじゃないだろうか。
あの愛らしい音色は、きっと今の若い人たちに、たおやかで美しい日本人と日本酒の関係を教えてくれる気がするのだ。
|