──生まれ育ったのは、大阪の商業の中心地である淀屋橋。同級生には有名料亭の子息などもおり、周囲には裕福な家庭の子供たちが多かった。そんな中で自分の家は、決して金銭的には恵まれていなかったと秋山さんは言う。

「極端な話、家族が食べるものに困っても、職人である父は、商売の材料であるヌメ革の質は絶対に落とさない。そしてね、いい素材をきちんと入れ続けてもらわなきゃ商売ができないから、業者への支払が最優先。父親の仕事に誇りは持っていたけど、自分でやるのにはしんどい商売だなぁと思ってましたよね」

──大学生にもなると、家業を継ぐことは選択肢から完全になくなり、卒業後はカー用品の販売会社に就職する。しかし、その会社の商売のやり方は、自分が幼い頃から肌で感じていた商売とはまったく違うものだった。
 「30年も前の話で、今は変わってるかもわかりませんけどね。僕が入社した当時は、何かひとつ仕入れるにも、あいみつ(複数の業者から見積もりを取ること)を取るように言われるわけです。僕としては、父親の商売を見てきているから、業者さんと信頼関係を結んでこそいい商売ができると思っているわけですよ。だから、業者同士を競わせて安くさせる手法も気に入らないし、いいものよりも安いものがええ、という考え方にも納得ができない。上司や会社の偉いさんに直談判しても取り合えってもらえないし、ストレスは溜まる一方だしで、1年ちょっとで会社は辞めましたわ」
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