──14歳。現代であれば、将来の夢を自由気ままに語れる年齢だ。しかし、五十嵐九十九さんの生きた時代は違った。戦後の日本で力強く生き抜くために、14歳の五十嵐さんは音楽家になる夢を断念し、生涯の職業となるテーラーの道を歩み始めた。

「終戦直後は、疎開先の埼玉県から東京へ移り住むにも移動証明書が必要でした。それがないと配給が貰えなくて食べるものもない。そういう時代です。僕は東京で音楽を勉強したいと考えていたけれども、学問では移動証明書を発行してもらえません。仕方がないから米軍キャンプの工事現場に働き口を見つけて、ようやく移動証明書を手に入れました。ところが僕は、小柄な上に高いところが怖くてね(笑)。どうしたものかと思って、大叔父に相談をしたのが、この仕事の始まりですよ」

──フランスに滞在経験のあった大叔父は、パリで世話をした日本人が経営する洋服屋を紹介する。当時の洋服屋といえば、オーダーメイドで服を仕立てるテーラーが一般的だ。

 
「それまで1年ほど東京で暮らしてみて、音楽で食べるのが大変なこともわかってきましたし、戦後の混乱期でしたから、手に職をつけるのが大事だという思いもありましてね。というのも、僕の親父はバイオリニストで、稼ぐのに大変な苦労をしていました。その親父がこう言ったんです。『人生の大半の時間を練習に費やす音楽家と違い、テーラーは練習をしながらお金まで貰える仕事だ。それならば、一度は志した音楽家になるつもりで練習や研究を重ねて頑張れ。そうすれば、いちばんになれる』。この言葉が僕の支えになりました。仕事のときは、誰よりも美しく早く仕上げるにはどうしたらいいかを常に考えていたものです。それに、僕はわりに向上心が強くて研究熱心なほうだったから、月に1、2回しかない休みの日でも他の洋服屋を見に行ったりしましてね。僕の師匠はフランスで仕立てを学んだ人でしたから、そのやり方と日本との違いをつぶさに見たり、フランスから送られてくる雑誌を見て研究したりするうちに、一段と服作りに興味が湧いてくる。毎日がそんな感じでしたよね」
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