──34歳で帰国した後、ひとつの出会いから、西武百貨店にオーダーサロンを構えることとなる。フランス仕込みのセンスと高い技術が評判を呼び、三島由紀夫「盾の会」の制服デザインや有名歌手のステージ衣装を数多く手掛けた。と同時に帰国してからは、音楽家がコンサートをするように、あるいは、絵描きが個展を開催するように、五十嵐さんは発表の場をフランスに求め、年1回のペースで7回のコレクションを成功させている。

「西武百貨店で忙しく働きながら、自分の作品を発表することにも心血を注いでいました。作品づくりはもちろん楽しかったし、多くのお客様の服を仕立てるのも、それはそれは楽しい時間でしたよ。当時の日本人はみんなおしゃれで、服にこだわりを持っていましてね。鏡を見ながら、肩の幅を5mm、袖の長さもあと5mm詰めてほしいと言うわけです。ミリ単位でこだわるのはごく普通の光景でした。ところが今は既製服の袖や裾を何cmか詰めて終わりでしょう。それが悪いわけではないけど、少しさみしいですよね。たとえば、何を食べても満腹にはなるけど、一流のシェフの料理で満腹になるのとはわけが違いますよ。その感覚と同じで、何を着ても生きていけるけど、自分にぴったり合った服を着てみてはじめて、わかることがいっぱいあります」

──オーダーメイドの服の着心地のよさはもちろん格別だろう。だが、それ以上に得られるものがある。たとえば、五十嵐さんにスーツをオーダーしたとする。完成したスーツには、何度も訪れたパリ仕込みのセンス、長年培ってきた技術や知恵、そして、服作りに生涯をかけてきた五十嵐さんの人生のすべてが凝縮されている。


「シャツ1枚でもいいから仕立ててみると、いろんなことが実感できるはずです。その感覚は、生きる上で必ずプラスに働くと思いますよ。残念ながら、今は服を仕立てる人が少なくなっていますけど、時代は大きく変わってきていますから、この先、どう変化するのか、少し楽しみにもしています」

──76歳。いまなお服作りの現役だ。

「最近は月に多くても2〜3着が限界ですが、要望がある限り、作り続けていこうとは思っています。自分のイメージに手が追い付かなくて、正直、苦しい思いもいっぱいあるけど、作ることでしか僕は生きられないから」

──そのとき与えられた環境でできることを精一杯。そして、その世界で道を切り拓いていく。その信念は服作りを始めた14歳の頃から変わっていない。

01 02 03 04 トップへ