──一歩進むごとに新しい発見と刺激を受け、服作りの技術を身に付けた五十嵐さんは、21歳で独立。東京・田端に『マロニエ洋装店』を開店した。父の仕事仲間のステージ衣装を手がけるなど、店が軌道に乗るのにさほど時間はかからなかった。しかしその一方で、捨て切れない思いも抱えていた。

「パリで技術を学んだ師匠のもとで修業して、事あるごとに『パリでは……』って聞かされていたから(笑)。いつかは行ってみたいとずっと思っていました。あれは1960年頃だから、僕が27歳ぐらいかな。ラジオを聞いていたら、世界一周旅行がどうのと言っていたんですよ。それを聞いてすぐさまパスポートを貰いに外務省に行ったら、一般人には発行できないと言われたんです。それでツテを頼りましてね。お金も20万円ほどは使いましたよ(笑)。ある貿易会社の社員ということにしてもらって、ようやく船に乗り込んだわけです」

──1カ月の長旅の末、ようやくたどり着いたパリ。唯一の日本食レストランで皿洗いをしながら、服作りの腕にさらに磨きをかけていった。


「言葉は話せなかったけど、日本でもフランスでも、服作りでやることは同じ。意思の疎通はできましたよ。パリでは貴重な経験をいくつもしました。たくさんのショーを見て刺激を受けたし、写真も残っているけど、あのドゴール将軍のズボンも縫いました。そして、フランスに6年間いたうちの最後の3年間は、ピエール・カルダンの元で服作りを学びました」
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