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──紫舟という雅号を持つ書家が誕生して、7年。「書家になる」と決めたその瞬間から今日まで、情熱を傾けられる天職に出合えた喜びが、紫舟さんの心を支配している。幼い頃から求め続けた“本当にやりたいこと”との出合いは、どのようにして訪れたのだろうか。
「子供の頃、大人から『将来は何になりたい?』って聞かれると、周りの子たちはみんな『お花屋さん』とか『パイロット』とか、職業を答えるんですね。『大きなお家に住みたい』という漠然とした夢を語る子はいなかった(笑)。そのことに気付いたときから、職業って大事なんだな、と思い続けていたんです。でも、小・中・高、大学と職業について真剣に考えていたのに答えが見つからず、大学卒業後は就職する道を選びました」 |
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──大阪に住んでいた大学生時代、ときどき遊びに行く神戸に憧れ、就職先は神戸のアパレル会社に決めた。
「そこでの仕事はやりがいもあったし、とても楽しかった。私はCMや広告を作る部署にいて、ビジュアル撮影やイベントで海外にも行かせてもらいました。でも、常に引っかかっていたのが、自分のクライアントとしての立場。カメラマンさんやデザイナーさんが作り上げる世界に対して、私はただOKを出すだけ(笑)。当時はそれがすごく嫌で、私も物作りの立場がいいな、制作するほうに入りたいな、なんて考えていましたね」
──物を作る立場への憧れはあっても、何を作りたいかは見えてこない。就職してから3年半経っても、自分が何をやりたいのかがわからず、紫舟さんは大きな決断をする。
「十数年考え続けて、結局、答えが見つからなかったわけですよね。それなら、環境を変えようと思って、会社を辞めてみたんです」
──そして、“自分の人生と真剣に向き合うこと”に専念した。
「青い鳥を求めて、会社を辞めた後海外へ旅行するというのはよく耳にしますが、自分自身の答えを外に求めても見つからないだろうなと思って。自分のことだから自分に聞く。そのために、自分自身の内側と向き合うということを3カ月やってみようと決めました」
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